1月29日、漫画家の芦原妃名子(あしはらひなこ)さん(50)が、栃木県内の川治ダムで亡くなった状態で発見されたというショッキングなニュースが入ってきました。自殺とみられています。芦原妃名子さんの漫画『セクシー田中さん』を原作にしたドラマの最終回が12月24日に日本テレビで放送されたのですが、同ドラマの脚本を巡って芦原ひなこさんや小学館側と日本テレビ側でのやり取りがあったようで、最終回の後に芦原さんがブログやTwitterでその内容を投稿した後なぜかすぐに削除され、今回のような結果となってしまいました。ブログやXで投稿した内容がどんなものだったのか、全文を載せて芦原妃名子さんの気持ちを推察してみたいと思います。
芦原妃名子さんブログ(Twitter)削除内容全文
芦原妃名子さんが最後に投稿されたブログは1月26日に記されています。
ブログの題名は「ドラマ「セクシー田中さん』について」というものです。
書き始めにドラマ「セクシー田中さん」を見た視聴者に対して感謝の意を伝えています。
「色々と悩んだのですが」と、9話と最終話10話の脚本を芦原妃名子さん自身が書くことになったことを述べると記されています。
「書かざるを得ないと判断」という文言から、「脚本を書いたことは不本意だった」というのが伝わってきます。
「ドラマの放送終了まで、脚本家さんと一度も会うことはなかった」「監督や演出のドラマ制作のスタッフともドラマの内容について直接話す機会がなかった」ということで、ドラマ制作にあたって芦原妃名子さんご本人の気持ちが直接届きにくい環境にあったことを述べています。
ドラマ制作側でどのような会話や流れがあったかは分からないので、あくまでも芦原さん側の気持ちを主張しているということを強調していますね。
「自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい」という作品への強い思いや意思を感じます。
担当編集の方とも話し合い気持ちを共有していたのですね。
「ドラマ化の話があった時に、数話のプロット(物語の筋)や脚本をチェックした」とあります。チェックした時は原作に忠実な脚本だったということではないでしょうか。
また、いくつかの条件も出しています。
『セクシー田中さん』は、小学館の『姉系プチコミック』で2017年から連載中で、まだ原作は最終回を迎えていませんでした。
だからこそ、漫画のこれからに影響を及ぼさないように「原作者があらすじからセリフまで」用意する。とあります。これはまだ原作で描かれていない部分のドラマ制作に関する条件かと思います。
そして、ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」と強調されています。
「もしも漫画に忠実でない場合は加筆や修正をします。まだ漫画化されていない部分についても、原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方を想定してください。場合によっては原作者が脚本を執筆するかもしれません」
と初めから述べられていますね。
芦原妃名子さんサイドからすれば、「こんなに厳しい条件で本当にドラマ化できるの?それでもいいなら作ってもいいよ」という上から目線で強気に出ていたということも書かれていますね。
ドラマ制作をする脚本家や監督にとってみれば、作りたい作品を自由に作ることができないジレンマが生じることも理解しての発言だということを理解しておられます。
そこまでしてでも「原作に忠実に」という気持ちは崩すつもりはなかったというのが分かります。
「自分の気持ちを汲み取ってもらった上でスタートした」のだと芦原さんご本人は思っていたはずです。
ところが、いざ提出されたものを見てみると、内容や脚本が大きく改編されていた。
「原作に忠実に」というものとはかけ離れたドラマが作られようとしていたということですね。
芦原さんは、ドラマオファーを受けた時の条件を守ってもらえないのなら、ドラマ放送前に「今からでもドラマ化をやめたい」とも訴えていたのだそうです。
「脚本家、監督といったドラマ制作スタッフとを繋ぐ窓口はプロデューサーの方々のみだった」とあります。
「どのように脚本家や監督、ドラマ制作スタッフに「ドラマ化の条件」が伝わっていたのかは分からない」とも記されていました。
余談ですが、ある方からのこういう投稿も見られました。
高千穂遙さんは、小説家でもあり、脚本家や漫画の原作家でもある方で、原作側の気持ちもわかる方であると同時に、脚本家側の気持ちも分かるいわゆる中立の立場にある方だと言えます。
その方が、「原作者の意向に関する契約や口約束があるのなら、それをライターに伝え、すみやかに調整をはかる等の手配をしなくてはならない。それができていないのはプロデューサーの仕事放棄だ」と断言されています。
どのようにドラマ制作がなされているか分からない一般の私たちに分かりやすい仕組みが説明されています。
中立の立場である高千穂遙さんがこのような発言をされたということは、今回の出来事が「異常」だったということが分かるのではないでしょうか。
芦原妃名子さんが当初伝えていた条件や原作への強い思いが伝わっていないことへの落胆や絶望、心痛は明白です。
まだ漫画でも描かれていないドラマ制作にあたっての「当初の条件」は、「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただけるように」とのことだったはずが、いざふたを開けてみると、こちらも芦原さんが準備したものとはかけ離れている内容だったことが記されています。
「日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との指示が出たと伺っていたが、状況は変わらなかった」とあります。
指示を出したのは脚本家へということだと思いますが、それでも脚本家が原作者の意図を理解していなかったということだったのでしょうか。
当初の条件として「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方に交代していただきたい」旨を日本テレビ側にお願いしていた。
これは話の流れによると、プロデューサーに対してお願いしていたということですね。
芦原さんの準備した「あらすじやセリフ」をそのまま脚本化できる方を用意するのはプロデューサーの役目になるかと思われます。
でも、新しい脚本家が選ばれることはなく、原作者である芦名妃名子さん自らが脚本を作成することになった。
私が芦名さんと同じ立場だったとすれば、日本テレビ側から「新しい脚本家を用意できなかったから自分で書いてよ」という匙を投げられたような気持ちになってしまいます。
ご自身の本業である連載漫画「セクシー田中さん」の原稿も進めながら、未経験の脚本まで仕上げなければいけない状況になってしまったことは、芦原妃名子さんにとって最悪な状況だったにも関わらず、それでも自分の気持ちは変わっていないという強い意思が見られます。
きっと何日も寝不足になり時間と闘いながら両方の作品制作に邁進されていたのでしょう。
私見ですが、誰が脚本を書いても必ず批判は出ます。
視聴者はストーリーを見ながら自分の思い描くストーリー展開を予想し、そうであってほしいと所望します。
だから自分が「こうあってほしい」という展開に行きつかなかった時、不満や批判が生まれます。
それがドラマというものだと思います。
ドラマ制作のプロにしてみれば、どんな展開や結末が視聴者にうけるかということは分かっているのだろうと思います。
分かっている上で「原作のままに」という条件を飲んだのなら、初めからそうすべきであって、芦名さんが謝ることは何一つないと思ってしまいます。
このブログを書く前に投稿されたのは2014年のことです。
約10年あまりブログを記していなかったことを考えると、自分の気持ちをしっかりと表明することで実際ドラマ制作の場で何があったのかを知ってもらいたかったのだと思います。
ドラマというのがこんなにも原作者の意向を無視して作られるものだと知っていたのなら、芦原妃名子さんが「セクシー田中さん」をドラマ化させることはなかったでしょう。
辛い立場にいる中で、よくお話してくださったな、と思います。
投稿後この内容がすぐに反響を呼んだのですが、数日ですぐに削除されてしまいました。
そして自身のX(Twitter)に、「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」と投稿を残し行方不明になり、帰らぬ人となりました。
この辛く悲しい出来事が二度と起こらないようにするにはどうすればいいのか、いろいろな立場から、いろいろな方向から考えていく必要があると強く思います。
芦原妃名子さんのご冥福をお祈りいたします。